内視鏡の検査

最近の医学の進歩は素晴らしい。しかし、素晴らし過ぎて迷惑な事も多い。

ここ1ヶ月間で体重が10kg以上も減り、食欲も急に無くなり、何事に対してもやる気が失せてきた。カアさんは絶対に癌だと信じてしまったらしく、癌の発見で有名な医師に直接電話して検査を依頼してしまった。この医師、自分の掛かり付け医なので、笑いながら奥さんの御命令なのでと診察の予定を組んでしまった。

エコーでほぼ体躯全体を調べ、内視鏡で胃と大腸を見られた。知りたくもない事を発見され、些かガッカリしている。もう少しこのままにしておくと癌に進行するというポリープが見つかったのだ。あるいは医者の言葉の話し様では、もう癌になっているのかも知れない。本当は完全な癌になってから見つけて欲しかったのに。

内視鏡手術で取るか開腹手術になるのか、もう少し慎重に検査結果を検討したいという。癌なら良いのだが。結構大きな癌保険に入っているので、癌と診断されれば一挙に楽なるのだが。

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捨てられないボール盤

卓上ボール盤工場を整理して、かなりの量を清掃センターに持って行った。

この卓上型のボール盤、これだけは捨てられない。これは昭和25年当時、自分が生まれた頃に父が独立し、そのお祝いとして宇都宮の大叔父から送られたものだ。大叔父は小俣の祖父の弟で、嘉納治五郎の最後の生き残りの弟子だった。日光の奉納試合では、紅白のしめ縄の帯で主審を務めたという。親族の中では、祖父に次いで尊敬する人物だ。

父の実家のために家を出て鉄工所を始めた。兄弟や親族のために、父はよく働き、随分と支援していた。大叔父だけはその事を良く知り理解していた。武道を一生涯研鑽し、独特の考えに至った。時々大叔父の考えなどを聞くのが楽しみだった。庭に大叔父かが植えていったドウザンツツジがあるが、そのドウザンツツジと共にこのボール盤だけは捨てられない。50年以上も、我が家のために働いて貰ったが、まだまだ頑張って貰いたい。

上を向いて寝る猫?

キータンの寝姿猫は普通上を向いて寝るのだろうか。

この寝姿は、無理にさせたものではない。「グォウ~・・・グゥオ~」とイビキをかき、見ればこの姿で寝ている。デブで大きなお腹が苦しいだろうに、どうして上を向いて寝るのか分からない。

可愛いと言えば可愛いのだが、イビキが煩くて困ったものだ。携帯で撮影していると、どうやらシャッター音が気に入らない様で、伸ばしていた手と足を縮めてしまった。

デブ猫・・・・・

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クワトロ・アンジェロで昼食

クワトロ・アンジェロオジョーのお仕着せのウエディングは嫌だという意向をくみ、彼が選んだのがここクワトロ・アンジェロ

一応、カアさんと昼食に行ってみた。イタリアンレストランの様で、味は良い。あの食事に煩いオジョーも、此処なら満足だろう。費用も、通常価格が示されたが、それよりもかなり高く指定したそうだ。娘の結婚式だが、それよりも食事が楽しみだ。

二人の希望は、とにかくラテン系の田舎の結婚式が理想の様だ。衣装替えは殆どしないし、彼にプレゼントされたウエディングドレスだけにして、みんなで楽しく食事と会話を楽しみたいそうだ。もちろん、一切の祝辞も入れないで、時間いっぱいワイワイと楽しむ計画らしい。それもまた良いのかも知れない。人前式も兼ねてしまう様だが、自分としては春日大社系の小さな神社で、簡単でも良いから式をして貰いたかった。mぁ、二人の人生だから、二人が選んだ様にするのも良いだろう。

それにしても、我が町と足利市は食い道楽のはずなのに、前橋の郊外に、このように上品な味のレストランがあったとは、我が町のシェフも頑張ってもらいたいものだ。本来のイタリアンよりも、日本的な上品さを感じる。

工場の整理で・・・

工場の棚今月中には閉鎖も考えなければと思い、工場内を掃除した。

思えば、こうして掃除などした事もなかった。殆ど使う事の無かった物も多く、捨てようかと悩む。一度閉鎖をしてしまえば、もう二度と自営を始める事はないだろう。今後は使う事もないと思われるのだが、たった一度しか使わなくても、その時には大事な物で、確かに今に至るだけの役目を果たしてくれた。

ゴミの様な一つ一つに想い出もあり、整理をするにはまだ時間が掛かりそうだ。そんなゴミの中から、若い頃の写真も出てきた。まだ20歳前後の頃の物だ。今の自分とは余りにも違う顔に驚く。カアさんは「やはり格好いい」と言ってくれたが、照れると言うよりも、時間の流れの残酷さを感じてしまう。

この不況、1万2千円を貰っても改善などしない。2兆円を配るなら、その金で何らかの景気浮揚策を打って貰いたい。と思うが、今の議員では・・・・・これだけ国が乱れても、自衛隊は革命を、クーデターを起こして日本の再建をしないのだろうか。文民統制とは言うが、今の状況に満足しているのだろうか。それとも、軍事力は持っていても、精神は去勢されているのだろうか。

焼肉店ヤプーへ行った

焼肉夫婦二人だけの暮らしも、慣れてくると意外と良いものだ。

今夜は西桐生駅の近くに有る、ヤプーという焼き肉屋に行ってきた。以前は仲町にあったが、此処に移ったそうだ。炭火で焼ながら食べるというのも良いもので、ガスと違い火の調整は出来ないが、明るい暖かさで気持ちも落ち着いてくる。

味は普通というか、特に変わったところはないが、値段だけは安かった。かなり注文し、カアさんは生ビールを飲んだが、4000円程度だった。

ところで、この店のヤプーという名前がどうも・・・。これは家畜人ヤプーiconから取ったのだろうか。ご主人は自分と同年代と思われる。このような小説を読んだとすると、どういった趣味なのか。もっとも、自分も中学か高校生の頃に読んだ様な記憶があり、その衝撃から未だにヤプーという言葉が頭の中から消えない。

油圧空気圧用の計算尺

油圧計算尺工場の中を整理していたら、何とも珍しい物が出てきた。

まだ20歳前後の頃、油圧や空気圧の勉強をしていた。もちろん独学なのだが。各種の本を読み、実験をして、各種のカタログを集める中、太陽鉄工を知った。カタログと共に、シリンダーについて問い合わせをしたところ、わざわざ営業担当の人が訪ねてきて、買う事もないのに様々な事を教えていただき、後にこの計算尺が郵送されてきた。実践的な設計法等や利用法を教えていただき、しかもかなりの量のカタログも貰い、計算尺まで送られてきた。もし自分が大きな企業の経営者だったら、絶対にこの会社以外は取引はしなかっただろう。いかんせん、たかが町工場のこんな工場では、設計どころか使う事さえなかった。

それにしても懐かしい。当時はまだ電卓もなく、計算尺が主力で、大きな計算尺を持つという事がいかにもオリコウソウに見えたものだ。思い出したのだが、その後結婚をしてカアさんからの最初のプレゼントが、10桁まで計算できる電卓だった。あれは使いやすかった。

あの頃が懐かしい。「七難八苦を与えよ・・・」などと格好を付けて、真面目な生き方をしてきたが、もう少し狡賢い生き方をしてきたら、今よりはずっと経済的にも恵まれていたのに。人を騙す生き方をしても、今よりはきっと幸せだったかも知れない。この計算尺を手に入れた頃に戻りたいものだ。

何のための定額給付金

100年に一度の大恐慌が始まるとか・・・。

その真偽は分からないが、確かに不況は実感として身近になってきた。どこぞの大臣様のお力で、「改正建築基準法」の強引な成立により去年以来不況が始まり、アメリカ発のサブプライム問題とかでいよいよ本格的な大恐慌を感じてきた。そんな中、どう見ても選挙目当てとしか思えない定額給付金の事ばかりが話題になっている。わずかな金額を一度だけ配り、それで景気回復に繋がるとでも思っているのだろうか。

財源を国が全額補助することで日本全国の市区町村が発行し一定の条件を満たした国民に1人2万円分(額面1,000円の地域振興券を1人20枚ずつ)、総額6,194億円を贈与という形で交付した。交付開始日から6ヶ月間有効で原則として発行元の市区町村内のみで使用でき、釣り銭を出すことが禁止され額面以上の買い物をすることが義務付けられた。

与党である自由民主党からも「ばら撒き政策」だと強い批判が挙がったが、公明党の強い要望により導入された。当時内閣官房長官であった野中広務が「地域振興券は公明党を与党に入れるための国会対策費だった」と後に話したともいわれている。

交付された世帯では地域振興券以外の消費を抑制して貯蓄に回したため約2,000億円の消費押し上げ効果しかなく、波及効果をほとんどもたらさなかった。

  地域振興券(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

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身辺整理ではないが

今日、多くの可燃ゴミをトラックで清掃センターに運んだ。昔と比べて、いくらか値上がりをしたのだろうか、80kgで900ナンボだった。それにしても、書類や単行本の類でこの重量になってしまうとは・・・。

適当に投げながら、ふと気付いたら孫子iconが他の文庫本の中に入っていた。危うく燃やされてしまうところだった。

これは平成10年の10月に購入して、文庫本は持ち歩きがしやすいので、蔵書印と陽印を押して捨てない様にした物だ。どうやら自分で気をつけていても、他の者にとっては同じ様な物なのかも知れない。死ぬ前にもう一度読みたい本としては、この『孫子icon』と『老子icon』、それにもう一度入手できるならば『六韜icon』が読みたい。

中国の古典が好きというわけではないが、何故か最近は子供の頃、特に爺と過ごした田舎の頃を思い出す。そして爺から教えられた多くの事が、これらの本に近い事を知り、読んでいると爺との時間を思い出す。

そろそろ爺に会えるのかな。

無為の日々を過ごす

最近、無為に過ごす時間が多い。「無為」というと、仏教用語では出家と同じ意味だったと思うが、何もしないで居るという意味の「無為」の方だ。

こんな事で良いのだろうか・・・、とは毎日思うのだが、取り立ててする事もない。昨年以来の不況で、連日、ほぼ1年間殆どする事も無く過ごしてきた様に思う。無為自然な生き方・・・とは言えない様な毎日だ。

「無為」にしていれば人の心は為政者の善意に叶うとあるが、その為政者のバカな判断で少なくとも現在の不況の根本原因が作られた。そんな為政者に従う様な人民は、ろくでもない人民だろう。

あのバカクソ大臣の薄ら笑いは、一生忘れないだろう。

さてさて、これからの日本はどうなるのやら。文句ばかりで、たぶんチェンジは日本には起こらないだろうな。