きのこ茶屋は、昭和44年に桐生市の平井山山頂に建てた「ホテル国際きのこ会館」の、「きのこ」を始めとする地元の食材に拘り、炭火焼で本来の食材の美味しさを味わって貰う為に、食事処としてホテルとは別の所に、20年くらい前に建てられた。宿泊客だけではなく、地元や近在にも隠れた名店として知られ、家族連れや接待・宴会にと使われる様に成った。「ホテル国際きのこ会館」が閉鎖され、平成20年初夏にホテル自体も解体されてしまったが、きのこ茶屋の閉鎖を惜しむ声が上がり、同年7月より「炭火焼処 きのこ茶屋」として独立し、新規開店された。内容は以前と変わらず、桐生市と周辺地域の食材を使用した昔からの田舎料理と、もちろん最高級の椎茸を始めとした「きのこ類」の炭焼きが中心となっている。
「きのこ茶屋」に始めて行ったのは20年前だったと思うのだが、どうも良く思い出せない。印象としては、「ホテルきのこ会館」から自動車で下った、杉木立の中に「きのこ」の様な形をした小さな家が幾つも建っていた。その中で炭火焼をしたのだが、食事は以外と素材その物の味が生きていて、美味しかったのを覚えている。食事以外は、さして興味を引く様な建物とも感じなかった。数回目に、畳敷きの古民家の様な建物で食事をしたが、土壁と太い梁で、軒は杉の甘皮葺きで、何とも懐かしい空気を感じた。この「きのこ茶屋」周辺には、きのこの研究所を始め、実験的な栽培施設もある様で、その古民家風の建物の中には、此処を見学に来られた皇室関係者の写真が何気なく飾られていた。
「きのこ会館」に30年くらい前、初めて宿泊をした。余り意味もなく、単なる気晴らし程度だったが、綺麗で設備も良く、食事も美味くて大満足だった。その後この周辺には、様々なきのこに関する施設が作られて、「きのこ類」の研究と普及の総本山とでもいう地域になっていった。
確か20年くらい前に宿泊をしたとき、外の「きのこ茶屋」でも食事が出来ると聞き、早速行ってみた。杉木立の中に、まだ新しい小さな「きのこ」の形の建物が建っていた。その中で、炭火で串焼きをしたのだが、素材の味を楽しめて大満足な食事を楽しんだ。子供の頃に「マタンゴ」とかいう題名の、人が無人島にたどり着き、きのこを食べるときのこに成ってしまうというホラー映画を見て、以来きのこを食べる時にこのシーンを思いだしてしまった物だ。その、きのこ嫌いが払拭できたのも、此処で食べた炭焼きの椎茸だった。あの見事な椎茸は、此処以外で見た事がなかった。
10数年間、子育てや仕事の問題に追われ、行く機会も無くなっていた。「きのこ会館」の閉鎖を聞き、様々な想い出と共に残念に思っていた所、たまたま解体される場面を目にしてしまった。「白滝姫と森喜作」でも書いたが、桐生の二大偉人、庶民にとっては偉大な恩人の象徴ともいえる「きのこ会館」の解体は大変なショックを感じた。その中に「きのこ茶屋」は独立して、新規オープンされたと聞いた。早速行って、別の意味でのショック、というか、大きな感激を受けた。
建物は人間が作った物だが、育てたのは自然という事なのだろうか。あのきのこの形の炭焼き用の建物が、何とも言えない良い味になっていた。自然の中に有って、完全に自然と一体化して、その場に居るだけで自分自身が自然と一体化できる様になる。横を流れる椎茸神社から来る小さな川も、苔がむした石も、見ようによっては渓谷の美しささえ感じられる。
きのこの形の八角棟へ通じる道には、杉の皮を敷いた屋根があるが、その上に草が生い茂り、小さなきのこが顔を出している。建物も石も、周囲の雑草さえ「きのこ茶屋」と一体化して静かに自然その物になっていた。ここに来た客が、この狭い空間を散策できただけで価値が有るというのも肯ける。
此処「きのこ茶屋」は夜が良い。特に小雨の降る夜が、何とも言えない独特の静けさを感じる。小雨が屋根に当たる音が、妙に懐かしく感じて、深い静けさに引き込まれてしまう。この山間から出れば雷が鳴っていたのに、此処では遠くに聞こえて、強い雨脚も小雨になってしまう。これも深い杉木立に因るせいかもしれない。ヒグラシが雨の中でも鳴き、大きなトンボがきのこの出てる軒下で雨宿りをしている。
嘗ては高級な店として、特別な接待に使われていたが、今は町なかの店に比べてもさほど高くもない。昼食時にもランチメニューが用意されていて、随分混んできている様だ。事前に予約をすれば、席は確保されている。昼食時も良いが、やはり此処は夜が最高だ。家族と共に炭焼きを楽しみ、この自然を愛でるのも良い。炭焼きは係の人が付いて面倒を見てくれる。係の人との会話も又楽しいものだ。
この周辺には、何度かテレビドラマなどにも使われた、深い木々に囲まれた「桐生山鳳仙寺」や、桐生氏の菩提寺であった「梅田山西方寺」等もある。更に梅田に進めば、桐生川を堰き止めて作られた人造湖「梅田湖」がある。山を越えれば「草木ダム」もあり、この辺りは周辺の地域の中でも屈指の自然景観の優れた所だろう。
まだ小学生の頃、友人達と梅田中学校の手前を左に鳴神山に登り、峰伝いに神戸駅まで歩いた事がある。今は人が行く事も希になったが、この辺り、梅田の奥から栃木の飛駒に掛けて、彦根藩の飛地であり山岳信仰の対象でもあった。江戸時代には観光マップも作られていたそうだ。桐生市出身の講談社創業者の野間清治氏も、その祖先は彦根藩の近江商人であったそうだ。
現在、梅田周辺の自然を守る為に、群馬県の自然環境保全地域に指定されているという。桐生の豊かな自然を凝縮した様な、「きのこ茶屋」や「椎茸神社」辺りは、一度は散策をしてもらいたい。
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天正元年(1573年)に、桐生氏を滅ぼした由良成繁が桐生に入り、自らの菩提寺として建立した。周囲を深い自然に囲まれ、静寂な中に建つ長い歴史を有する寺院の佇まいは、信仰心の無い者まで心が安らかに成ってくる。
梅田山西方寺
「創建は観応元年(1350年)。伝えによりますと、安貞元年(一二二七)に実信房蓮生(じっしんぼう・れんじょう)法師の郎党の一人が、西方寺の前身である草庵を創建したとあります。」と清水氏の文にあります。この西方寺は観応元年より220年余に亘り、桐生を統治した「後桐生氏」の菩提寺でもある。
渡良瀬川上流を堰き止めて出来て人造湖。更に上流の足尾周辺は、嘗ての銅山の影響で山が荒れ、洪水の危険もあった。洪水調整や灌漑用水、工業用水、発電を目的に、1965年に着工し、1976年に完成した。
富弘美術館
草木ダム近くの富弘美術館は、群馬県勢多郡東村(現みどり市)生まれの、星野富弘の水彩画を集めた美術館です。氏は中学校の先生の時に、事故で頸椎を傷つけ、手や足が不自由に成ってしまいました。生まれ故郷に戻り、口にくわえた筆で水彩画を描き、人の心に訴える言葉を書いています。
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